生け花もフラワーアレンジメントもなんでもござれ
そんな先生にインタビューしました
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殺風景なお部屋に、お花をお持ちいただき、さっそく活けてもらいました!
さすがの手さばき。
アレンジメントをやっているのに生け花用のハサミでもサクサク生けていました。
あっという間にアレンジメントが仕上がっていきます。
「水上げ材」というものに、お花の切り口をつけながら始めました。
「これにつけると生き返るんです。」とのこと。
「生け花もアレンジメントもやるので、空間の捉え方が違うらしいです。
アレンジは、オアシス(アレンジメントのお花をさすスポンジのようなもの)を隠さなくてはいけないんですが、生け花は剣山や七宝を使って空間を生かすんですね。」と先生談。
ものの5分で、アレンジメントが出来上がりました。
花材はリンドウ・デンファレ・ドラセナゴッドセフィーナです。
ドラセナ(白い斑点のある葉っぱ)にも、いろいろな種類があるそうです。
「輸入物は安いんです。
お花はお野菜と違って「○○産」って書いていないからわかりませんよね。
でも持ちが違ったり、(輸入物は)茎が太かったりします。」
ちょっとした豆知識も教えて頂きました。
素人目には、生け花っぽいアレンジメントです。
左右対称ではなく、非対称なアレンジメントです。
先生曰く、「初心者は扇子をひろげたようにやるんですね、奥行きがないというか。」
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生まれは東京です。
父は、船関係の仕事だったので、ロンドンに行ったり浜松、鳥取、舞鶴などにいました。
長くいたのは、神戸ですね。
結婚してからは、ずっと世田谷です。
中学の時、部活を選ぶのに帰宅部もいやだったんで「じゃあ華道部に入ろうか」と思い入りました。
その時の先生が、小原流だったんですね。
さらに高校に行っても続けて、就職した後も
神戸の家から通える所に先生のお教室があったので、ずっと通いました。
その先生とウマが合ったんですね。
上手なのと、きれいなおばさまという感じです。
結婚もして子供もいて、人間的にある程度経験を積んでから生け花を教えようと思ったキッカケの先生です。
上田豊栄(うえだほうえい)先生という方です。
トップクラスの先生で、4代家元を手ほどきしたらしいです。
かしこまった生け花でないんです。
会社で疲れて、でも、楽しく生けていました。
こんなに続いているのは、先生のお人柄がよかったせいだと思っています。
30歳くらいで、東京に出てきてからも神戸に通いつづけました。
だから東京に引っ越したってことを同じ教室の人は知らなかったくらいです。
会社にいた頃は、会社のクラブ活動で未生流(みしょうりゅう:http://www.misho-ryu.com/history.htm)をかじったんですが、全然違うテイストだったので
それが小原流のお稽古の時に、ちょっと出てばれたのでやめました。
ちょうど二股かけている感じでしたね(笑)。
一か月くらいしかやってなかったんですけど、やったものって、身についちゃうんですね、隠せない。
生け花って、昔は、床の間があって設え(しつらえ)があって、という形でした。
でも、現代のいけばなは、和室があって床の間があってというおうちは少ないですよね。
今は5世が、筒状に活けたりして現代のライフスタイルに合わせた方法を模索しています。
大きく生けなくても、カッコよく見せる枝ぶりがあるんです。
時代に合わせて、進化しているんです。
ちなみに、私の流派は小原流です。
小原流歴40年くらいかな?(⇒小原流ホームページ )
小原流は、明治以降に生まれた流派です。(⇒歴代家元のご紹介)
一代目は、小原 雲心(おはら うんしん)といいます。
明治の世になり、外国からお花がいっぱい入ってきたことで今までの生け花とは違う方法で水盤を作って表現したんです。
それが「盛花」(もりはな)の言われです。
池坊の中でやりたかったんだけど、自分が流祖になったらみんながやりたいやりたい
っていう話になって、ついてきちゃった(笑)。
そうそう。
六甲山の山の風景を水盤の中に再現する「写景」(しゃけい)という方法を取り入れたり。
2代目の光雲(こううん)はそれを継承して、体系的にして、その頃はテレビがなかったのでラジオで「こういう風に生けましょう」ってやったらしいですよ。
生ける場所は、お寺とかお屋敷とか。
その頃の写真を見ると、髷を結った奥様連中が写っています。
3代目は、豊雲(ほううん)さん。
戦中戦後を生きた方です。
年配のお花の先生は、この方をご存知ですね。
時代的にお花なんてやる余裕がないので、焦土の中のがれきを取り入れたり、とても花とは思えないものを使って表現しました。
それは、「前衛」という位置づけになったのです。
草月流とコラボしてやったようですよ。
戦後、ガレキしかない頃、小原流の中で「造形」と呼ばれる部分を作っていきました。
花だけでなくて、自分で思ったことを表現する方法です。
私は、タンポポの綿毛を使ってやりました。
何がなんでも花を使わなくてもいいんです。
3代目のやったこととして、尾形光琳のあの絢爛豪華な風合いを取り入れた「琳派調」と呼ばれる新しいチャレンジをしました。
4代目は、立体・少ない花での表現など、現代空間に合う花を考えました。
3代目に引き続き、海外に文化庁の使節として派遣され普及活動をしたので、世界に日本の「IKEBANA」を普及させました。
語学も堪能だったそうです。
ペルーやアメリカやヨーロッパに行ったそうです。
ただ、若くして亡くなられて、その後、5代目が6歳にして家元を継承したという経緯があります。
生け花は歴史があるので、文化的要素がとても濃いんですね。
富貴は、牡丹の意味なのです。
取り合わせによる意味があって、富貴というタイトルを見て牡丹だということが分かれば風流人ですね(笑)。
たとえば、お雑煮の具に長寿を願う意味合いの具があったりするじゃないですか?
そんなことを知っているだけで、豊かな時間を持つことができますよね。
アレンジメントだと、クリスマスにリースを作るんですが、リースに使う緑と白と赤には、それぞれの意味があるんです。
ご存知ですか?
緑は大地、白は潔白、赤はキリストの血ですね。
何も知らないで3色使ってやるのと、それを知っていてやるのとは深さが変わってきます。
例えば、旅行に行くのにも、その場所の歴史を調べていくだけでも全然違いますよね。
アレンジメントは、色のコーディネイトも大事なんですね。
黄色は、太陽のイメージですので、心理的に元気の出る色なのです。
色の持つイメージがあるんです。
生け花で、他の流派を習うことはご法度(笑)。
なので、生け花をやっているのに、アレンジメントはちょっと始めずらいんですね。
ですので「カラーセラピー、色の取り合わせを習いたいんだ」という口実をつけて始めました(笑)。
生け花と勝手が違う、オアシスを使う、お花が多いなど、取り合わせ、生け方も違う。
生け花は長さに関して「だいたいこれくらい」目分量的なことがあります。
枝ぶりなどとのバランス、例えば枝が細いと長めにするけど、枝が太いから短めにするなど経験を積んで臨機応変に対応するんです。
でも、アレンジメントは、「この位置のお花は何センチの長さに」と測ってやることもあります。
それも、生け花と違うところですかね。
アレンジメントって、ライセンスを取る試験では、時間制限があるんです。
手が速く動かないとだめじゃないですか。
なぜか?
実際フラワーアレンジメントを仕事でする場合、時間勝負ですよね。
ウェディング、お葬式、開店祝いなどを作るお花屋さんは、1級のライセンスを取って研究科に入って、初めて仕事になります。
アレンジメントを生かせる場面は、実生活の中で生け花より多いですね。
そして、アレンジメントの深みに、だんだんはまって・・・。
生け花とは違った面白さがあるんです。
ブーケとかリースとかもありますしね。
「迎え花」というのが小原流にはありますが、卒業式や入学式で壇上の校長先生の脇にあるのは、生け花よりアレンジメント。
昔は、松の盆栽が置いてありました、時代が変わりましたね。
「花」って人生の節目節目に、出番がありますよね。
誕生日や卒業式で花束を上げたりする時、お花のチョイスに迷いがなくなります。
世田谷区内の小学校で、夏休みのワークショップを担当させていただいています。
今年(2015年夏)、いけばなを初めて「剣山」を使ってやったんですが、「剣山」を知らないんですね、子供たち。
でも、日本の文化ですから、ぜひ知っておいてもらいたいです。
ちょっとやったことがあるだけでも、大人になって「そういえばあの時、こういう風にやった」と思い出せるんです。
そのワークショップが終わった後、「剣山がほしい」と子供たちに囲まれて困ったんですね。
でも、はたと考えてみると、生け花をおうちの人にも見せてたかったんでしょうね。
「こんなのできたんだよ!」って自慢したかったんだと思います。
「ああ、貸してあげればよかった」と後悔ました。
なので、来年は貸出制にしようと思っています。
ワークショップでは、生け花とフラワーアレンジメントをやっていますが、どちらも満員御礼です。
尺八をやってます。
舅の遺品に尺八があり、捨てるのは忍びないのでやろうと思ったら、ちょうどいいタイミングでいい先生との出会いがあったのです。
たまたま巡り会えた先生との相性が良かったことも、幸いしています。
「主婦は練習する時間ないだろうから、ここで練習すればいいよ」というありがた~い先生でして(笑)。
自分が「先生」から「習う立場」に週に一回あるという意味でも、いい機会ですね。
生け花の流派は、200以上あります。
小原流、池坊、草月流だけではありません。
「私が家元です」て言って、人が着いて来ればOKなんですね。
生け花のスタートは、桜の花を手折ったものを飾るとこからです。
そのうち、お寺の弔いで用いれ、武士が戦地に行く前に心を鎮めるための「華道」とだったそうです。
そのうち、町人が「自分もやりたい」って始めて、すそ野が広がっていったんですね。
「美しさ」は普遍なんですね。
「黄金比」ってあるじゃないですか。
心動かされるものには、共通の法則性があるのですね。
「花にはチカラがある」という文言が、当教室のホームページにあります。
本当にそのとおりだと思います。
私のウチの朝顔、8月にほとんど咲かなかったのが、九月に入ってから咲き始めたんですね。
「遅咲き」ってのもありだな。励まされました(笑)。
昨日行った病院の待合室に生け花が飾ってあって「こういう心遣い、いいなあ」って思ったんです。
弱っている体と心に、生のお花は効くんですね!
そうです。
「生のお花」には、「生命力」があるんです。
造花も見た目はきれいですが、目ヂカラじゃないですけど、花のチカラが違いますね。
なので、お花を商売にしている人は、枯れたものを飾っているのは我慢ならないんですね(笑)。
商売柄やむを得ない感じです。
千利休の朝顔の話、聞いたことありますか?
秀吉が千利休に、朝顔を見たいとリクエストしました。
どうやって見せたと思います?
咲いている花を一輪だけ残して全部取ったんです。
見せ方を知っていたってことですよね。
茶室って暗いじゃないですか。
だから、一輪が映える。
その花の良さを120%発揮する方法を知っていたのです。
全部取ることはないだろうって、私は思っちゃうんですけどね。
例えば、高校で少し生け花をやっただけでも、お正月にお花をいけようと思うんですね。
それをみた子供は、自分が親になった時に、自分の家庭にお正月花を飾るようになり、脈々と継がれるんです。
四季がある日本だからこその「文化」だと思います。
日本人が単一の季節の国に行くと、日本の四季の文化がとても懐かしく思えるそうです。
衣替えもないし、熱帯ならずっと同じ服きれていればいいから楽じゃない?と思うのですが
そうではないらしい。
30代のころ、オランダにホームステイに行きました。
海外の花屋さんって、本当に花しか売ってないですね。
なので、公園にある草木をこっそり取ってきて生け花をしました(笑)。
ステイ先の家族はとても驚いていました。
でも、その自然と調和したことが、日本人の得意技なんでしょうね。
日本の中にいると気が付きませんが、外に出て初めて分かることもあるのです。
そういえば、20代のころ、モナコに神戸新聞・小原流で行き、花のコンテストに参加し、グレース王妃と握手したこともありますよ。
「楽しんで生けてもらえたらいいな」と思っています。